私はこのウェブサイト上で「奈多永明」と名乗っている。これはペンネームであって本名ではない。一応、ありそうでなかなか無い感じの名前にしたつもりではある。由来については、説明すると長くなる上に大して面白くないのでここでは割愛したい。愛着はあるが、それほど深遠な意味が込められているわけでもないのである。画数に多少こだわった記憶はあるのだけれど……(但し、本人は姓名判断占いの類を信じている訳ではない)。
ペンネーム、ハンドルネーム、芸名など、本名とは別の名前を使用する人は結構いる。親から頂戴した本名があるのに、何故、わざわざ別の名前を考えるのか? 私の場合、理由は大きく2つある。一つには、本名だと恥ずかしくて書けないことも匿名ならば書きやすいからだ。ホームページを見た友人から「あれは何やねん」と突っ込まれた場合に、「えっ? 何のこと? 俺は知らないなあ~、そんなもの。ハッハッハー」などと笑ってごまかす事も偽名ならば可能である(某友人からは「そんな訳ないやろ」と突っ込まれてしまったが)。
もう一つの理由は、保身のためである。インターネットは誰にでも情報の発信ができて便利だが、その情報の受取手がどんな人間かまでは分からない。自分のホームページにどんな人間がアクセスするか分からない以上、むやみに個人を特定できる情報やプライベートな情報を書き込むべきではないだろう。小説やエッセイなどを載せて、そこに何らかの風刺や批判を込めようとするならばなおさらである。何故なら、読み手がどんな解釈をするか見当が付かないからだ。閲覧者の気分を害さないよう最大限の努力をしているつもりであっても、何かの誤解から逆恨みされることが絶対にないとは云い切れない。用心するに越したことはないだろう。
「ペンネームとは、照れ隠しと保身のために付ける仮面である」
私の場合はつまり、こういうことなのである。
もちろん私がそうだからと云って、ペンネームを使う人全てがそういう考えだとは限らない。単にファッション感覚で考える人もいるだろうし、そもそも自分の本名は物心付いた頃から気に入らなかったとか、姓名判断で悪い結果が出たからとか、きっと千差万別の理由があるはずである。
さて、ペンネームといえば、何人かの偉大な作家の名が脳裏に浮かぶ。風変わりなもの、捻りの利いたもの、ありきたりなもの、実に様々なペンネームがある。直木賞で有名な直木三十五なんて、自分の歳をペンネームとして使っていた(最初は直木三十一だった)。作家として認められたのが35歳の時だったので、最後は三十五で落ち着いたのだという話を何処かで聞いた覚えがある。
ユニークなペンネームと云えば、私が最も傑作だと思うのは江戸川乱歩氏である。この名前が、彼の愛した作家エドガー・アラン・ポーに由来しているというのは有名な話だ。何とも素晴らしい当て字である。蛇足だが、彼の名著である“少年探偵シリーズ”には、私も夢中にさせられたくちだ。小学生から中学生の頃にかけて、本屋に行くたびに買っては読みふけったものである。
そうそう。昔よく読んだ本と云えば、星新一氏のショートショートも好きだった。文庫本で30冊以上も買った覚えがある。1話が短いので気軽に読めるし、皮肉の効いた結末が何とも云えない。氏も残念ながら数年前に他界されたが、生涯で千編を超える数のショートショートを残されている。この記録を超える者は2度と現れないのではないだろうか。
ちなみにこの星新一というお名前、実は本名であるらしい。SF作家には相応しすぎる名前であると御本人も評していたが、その通りであろう。世の中には、何とも奇妙な星の巡り合わせがあるものである。
ところで、福岡県には“奈多”という地名があるらしいが、私とは何の関係もないので念のため。だけど地名として既に存在していたとなると、何だか先を越されたようでちっと悔しい。いや、何となく。
▼追記