「まあまあ、落ち着いて下さいよ。でも、先輩、そんなこと言っちゃって、本当はちょっと羨ましいんじゃないんですか?」
冗談めかしてコータはそう言い返したのだが、ジュンは冗談と受け取ってくれなかったようだ。あるいは、痛い所を突かれたのかもしれない。
「何だとぉ!」
と大きな声を出したかと思うと、胸ぐらをつかみ、コータを至近距離から睨み付けるのだった。コータはまさに、蛇に睨まれた蛙のような状態。
「じょ、冗談ですよぉ。ちょっとちょっとちょっと、落ち着いて下さいよ。先輩、今日は呑み過ぎですよぉ。ほら、周りの人もビックリしてますよぉ」
ジュンはそう言われてもしばらくコータの胸ぐらをつかんだまま睨み付けていたが、突然吹き出したかと思うと、大声で笑い出した。
「何マジでびびってんの? 面白いなぁ、君は」
そう言って、またガハハハと大きな声で笑うのだった。どこまで冗談で、どこから本気なのか、コータには分からない。まあ、ジュンの酒癖が悪いのは、今に始まったことではないのだが……。
コータは参ったなぁと顔をしかめながら、レモンサワーをチビチビと呑んでいる。ジュンはバイト先の先輩で、コータは自分より3つ年上のこの先輩がはっきり云ってちょっと苦手だった。仕事ではとても頼りになるし、良い人なんだけど、どうも扱いにくいというか、やりにくいのだ。自分のペースを乱されてしまう。今日もバイトを終えてさっさと帰ろうとしていたところを、半ば強引に誘われて居酒屋に連れてこられた、という案配である。
ジュンは、世間一般で云うところのフリーターってやつである。要するに無職。25歳で独身。コータは来年大学を卒業予定の二十二歳。「こう見えてもなぁ、俺は結構、恋愛経験豊富なんだぞ」なんてジュンはよくいばっているのだが、コータはただの強がりだろうと分析している。
「先輩、もう今日はそろそろ帰りませんか。呑みすぎですよ、ちょっと」
「はぁ? 君、君、何言ってるの? いいかぁ、今日は朝まで呑むからな。今日は帰らせないぞ。朝まで付き合わせるぞぉ。クリスマスイブ? だから何だっての。まさか君、他に予定があるなんて言わないよなぁ。彼女なんていないだろぉ、君。じゃあ、付き合いたまえ。いない者同士、仲良くやろうじゃないかぁ」
そんな無茶苦茶な要求をしてくるジュンを横目に、コータは苦笑しながら今日2杯目のレモンサワーをやっと呑み終えた。どうにも危なっかしくて、酔ってなんかいられない状況。しかし、ジュンはそんなことお構いなしに、今日5杯目のビールをグビグビ呑んでいる。本当に朝まで呑むつもりなのかもしれない。
「お客様、すいません。そろそろラストオーダーの時間ですが……」
かわいらしい店員さんが申し訳なさそうにやってきてそう言った。しかしコータにとっては渡りに船だ。更にビールを注文しようとしているジュンを何とか制して、もういいですからと店員に告げた。この子もこんな日に大変だよな、などと思いながら。
「あのなぁ、何勝手なことしてくれちゃってる訳? 俺、全然呑み足りないんだけどぉ」
「いや、だから、呑みすぎですってば、先輩。もう出ましょうよ」
そう言って何とか諭して店を出ることになったものの、ジュンはそう簡単には引き下がらない。店を出てもコータの肩をグイッと掴み、絡み続ける。
「ここ出るのは良いけどさぁ、まだ付き合ってもらうからね。夜は始まったばかりだよぉ、コータ君」
「でもほら、今日はクリスマスイブだし、もうどこの店もいっぱいですよ。ね、帰りましょうよ」
「う〜ん」
コータにそう言われてしばらく黙り込んだジュンだったが、何か思い付いたのか、突然、
「よーし、分かった。帰ろう!」
と大げさに頷いてみせた。
「え? 帰るんですか?」
コータは意外に素直な返答が返ってきたことに少し戸惑いながらジュンを見た。しかし、ジュンはニヤリと笑ってこう続けた。
「おう、帰ろうよ。君の家にさ。俺もついて行くよ。コータ君は独り暮らしだから、別にこれから行ったって迷惑じゃないよな?」
「へ? いや、あの、今ちょっと散らかってるし……」
「い、い、よ、な?」
想定外の提案にたじろぐコータの肩をジュンは両手で掴むと、満面の笑顔でじっと目をみながら更に詰め寄る。
「……」
「君ねぇ、俺を今ここで1人にしたら、何するか分かんないよ。君の家まで追いかけて行って、大声出すよ」
無茶苦茶だと思ったが、その迫力に、コータは頷かざるを得なかった。
「……分かりましたよ。でも、大丈夫ですか?」
「何が?」
「何がって……、だって先輩……」
「あぁ〜、もう、イライラするよなぁ君は。今夜はクリスマスイブだから、ずぅっと一緒にいたいって言ってんじゃん。そんなに俺のことが嫌なん? そんなに帰って欲しいわけ?」
「あ、いや、その……」
「どっちだよ」
ああそういうことか、と、ここまでジュンに詰め寄られ、ようやくコータは事態を理解した。そして少しドキドキしていた。まさかそんな展開になるとは思ってもいなかったし、まさかジュンがそんなことを考えていたなんて思いもよらないことだったからだ。
「……ゴメン。いや、そうじゃなくって、……いいですよ、来ても」
「ばーか」
そう言って笑うジュンを、コータはかわいいなと思った。それがコータにとって、初めてひとりの女性として彼女を意識した瞬間だった。
(2007年12月3日執筆・初掲載)