私が小学生くらいの頃、コンピュータというものは科学者とかSF映画の登場人物とかが使う万能の機械という認識だった。厳密に言えば、任天堂のファミコンも電卓もワープロ専用機もコンピュータの一種として存在してはいたのだけれど、それらはコンピュータのイメージとは全く違うものだったし、あの当時、まさかアポロ計画で人類が月旅行をするために使ったものより遙かに高性能のコンピュータを多くの人が携帯する日が来るなんて、想像もしていなかった(スマートフォンのことね)。
その頃見たNHKのドキュメンタリーやSF映画に出てきたコンピュータは、巨大でもの凄い存在感があった。そこにコマンドを打ち込んで何かを分析している科学者というのは、とにかく格好良く見えたものだ。そんな私が初めてパソコンに触れたのは、中学1年の時だった。私の通っていた中学校では当時からパソコンを使えるクラブがあり、部員は自由にパソコンをいじって遊ぶことができた。まだWindowsなど影も形もなくて、本体にはハードディスクなどの記憶媒体も全く搭載されてないのが当たり前の時代である。
その当時のパソコンは、最新式でも搭載メモリは5MB程度。OSやアプリすら、フロッピーディスクという僅か1MB程の記憶媒体1枚に収まっていた。パソコンを使う時は、プログラムの入ったフロッピーをAドライブに、自分が作成したデータを保存するためのフロッピーをBドライブに挿入して使っていた。現在と比べると非常にシンプルな作業しかできなくて、一度に動かせるプログラムも1つだけだった。インターネットという概念もまだ存在しておらず、パソコンを使ってカラフルな印刷物を作ったり音楽や映像を編集したり双方向で通信したりなんていう作業を一般家庭で行うなんて、夢のまた夢だったのだ。
そんな時代から生徒にパソコンを使わせていたんだから、私の通ってた中学校も大したものである。都会の中学校ではない。地方都市のクソ田舎で、当時はまだ木造校舎だったというのにだ。
とはいえ、当初使っていたのはMSXというテレビに接続して使う安物で、しかも中古品だった。テレビも廃棄されたものを譲り受けて修理しただけのもの。それが僅か2台あるだけだった。クラブは今でこそパソコン部と改称しているが、当時は技術部という名前で、部員達はBASICで簡単なゲームプログラムを作成しては遊んでいた。マウスもなく、操作はキーボードのみ。今の若い人が見たら、逆に新鮮に感じるかもしれない。
そして私が中学3年に進級する頃だったか、こういうクラブが存在していたという実績が評価されたのかどうかは知らないが、市内の中学校ではいち早く私の学校に「パソコン教室」が設置された。木造校舎内に不釣り合いな内装の部屋が作られ、数十台のNEC製パソコンが導入されたのである。周辺機器にしても、当時まだ高価だったカラープリンタとイメージスキャナなどが導入されていたし、ソフトウェアもワープロや表計算からペイントソフトまで揃えてあった。ただ、教えられる教師がいなかったのか、学校の授業ではあまり活用されてなかったし、技術の授業でも一太郎の基本操作を学んだぐらいだった。とはいえ部活動などではペイントソフトやスキャナを使ってカレンダーを作ったり、画面に○や×を表示する簡単なプログラムを作って遊んだりした記憶がある。もちろん、先生に詳しい使い方を教わったわけではない。ほとんど自分たちで勉強したのだ。
それから数年後、大学に進学した際に、親から進学祝いでMacを買ってもらった。このことが、その後の私の人生を大きく決定づけることになる。
実は私が大学に入学した頃は、Windows 95が発売され、世界中でWindowsフィーバー、パソコンブームが起きていた時代である。一方で、日本におけるMacの認知度は、一部の業界やマニアを除き、とても低かった。
そんな時代にMacを買ってもらったのにはもちろん理由がある。私の両親は大学の教職関係の仕事をしていて、私が高校生くらいのころからMacを仕事に使うようになっていたというのが一つのきっかけだ。それを端で見ていて、Macって面白そうだなと思っていた。中学時代にコマンド操作しかできなかったOSが、GUIやマウスを使った操作に変わり、フロッピーディスクを入れなくても様々なことができるようになっていたことには素直に感動したし、モニタ一体型の独特なデザインや子供でも使える分かりやすさ、付属ソフトの面白さには、子供ながらにセンスの良さを感じたものだ。
そんな訳で、大学進学時にMacかWindows PCのどちらか好きな方を選べと言われて、迷わずMacを選んだ。Windows 95も店頭で操作してみたが、その当時はMacの方が洗練されている印象を受けたし、Windows PCは何だか無骨でセンスがないもののように感じたし、GUIも今ほど洗練されていなかったからだ。
その時のMac(Paforma 588)は、大学時代の4年間、最大限に活用した。ハードディスクが2回も故障するくらい使った(1回目は修理に出し、2回目は自分でパーツを買って修理した)。大学のレポートを書き、友達と同好会誌のようなものを作成し、パソコン用のゲームをしたり、当時登場したばかりだったインターネットを楽しんだり、ウェブサイトを作ったりした。その当時のパソコンはよく故障したし、トラブルも多かったのだけど、とにかくパソコンを使うこと、パソコンを使って何かを作ることが楽しかったのだ。
ただ、その頃のAppleはと言えば、倒産寸前だと言われたり、Microsoftに買収されるのではと噂されたり、とにかくWindowsブームに押されてジリ貧だった。だから、Macユーザーとしては肩身が狭かった。その十年ほど後に、スタバでMacBook Airをドヤ顔で使う人が現れるなんて、想像もできなかったのだ。
そんな状況が変わり始めたのが、大学3回生の頃。スティーブ・ジョブズという人が、やたらスケスケでカラフルなiMacを発表した頃からだ。その少し前からAppleは「Think different」というキャンペーンを展開していて、これがとてもクールだった。そのCMで流されたのが、次のようなメッセージだ。
Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward. While some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
クレージーな人たちがいる
はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達
四角い穴に 丸い杭を打ち込む様に
物事をまるで違う目で見る人達
彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心を打たれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰にも出来ない
何故なら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた
彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人達こそが
本当に世界を変えているのだから
(Wikipedia「Think different」より抜粋)
そして発売されたiMacは簡単にインターネットを始められるオシャレなパソコンとして大ヒットとなり、巷にスケルトンなパソコンの周辺機器が溢れるようになった。その後、スティーブ・ジョブズ率いるAppleがiPod、iPhone、iPadと立て続けに大ヒット商品を世に送り出し、世界中の人々のライフスタイルを変えてしまったのは周知の事実である。
話が横道にそれたが、そんな訳で学生時代の私は、徐々に熱狂的なMacユーザになっていった。「WindowsはMacintoshのパクリだ」とか、「Windowsにはセンスがない」とか、「最初のWordやExcelはMac用ソフトとして開発された」とか、そんなことを得意げに話していたような気がしないでもない。まあ、嘘ではないが……。
大学4回生となり、私も就職活動に本格的に取り組むようになったのだが、その成果は芳しくなかった。当初これといった明確な目標もなくて、文系だったにも関わらず、ただ何となくパソコンを使う仕事がしたいと思って闇雲に動いていた程度である。教育実習をやって教員免許を取得したが、これは教員である両親から強く勧められてやっただけで、人前でしゃべるのが苦手な私にとって、自分が教師に向いていないと思い知らされただけだった(良い経験にはなったと思うが)。卒業論文にも手こずっていたし、そんなこんなで就職活動にもなかなか前向きに取り組めず、内定がなかなか取れないまま時間だけが過ぎていった。
そんな中で興味を持ったのが、印刷・出版関係の仕事だった。興味を持ったきっかけは、当時購読していたMacの情報誌で紹介されていた出版・印刷業界の情報に触れたことと、就職活動である印刷会社を訪れた経験からだ。
一般の人にはあまり知られていないのかもしれないが、印刷・出版業界や映像、音楽など、いわゆるクリエイティブと言われる職場では、Macが圧倒的なシェアを誇っている。これは、Macが発売当初から、DTPを始めとするメディア制作に特に力を入れてきた製品だったことが影響している。PhotoshopもIllustratorもWordやExcelも、高品質で豊富なパソコン用書体やPSプリンタも、最初はMac用に開発されたのだ。そんな歴史から、今でも多くの出版社や印刷会社がMacを使っている。高品質な印刷物の制作を世界で最初に実現したパソコンがMacだったのだ。
大学時代に訪れた印刷会社でも、Macを使って様々な印刷物を制作していた。制作現場にはMacがずらりと並び、デザイナーやオペレーターが書籍やチラシ、販促物など、日常的に目にする様々な印刷物を創り上げていっている。そんな様子がとても格好良く見えたし、そんな仕事をしてみたいと強く思った。
これには、大学時代にサークルの仲間や高校時代の友人達と同好会誌を作ったり、自分のホームページを作ったりした経験も影響している。昔からそういったものを作ることが好きだったし、これならやりたい、やれるはずだという根拠のない自信もあった。
とは言え、グラフィックソフトが使いこなせるわけでもなく、デザインの勉強をした訳でもない。しかも口下手で人見知りも激しい。当時はバブル崩壊後の就職氷河期と呼ばれていた時代で、そんな軟弱な若者を採用してくれる出版社や印刷会社があるわけもない。それでも諦めきれなかった私は、実家に帰省した際、両親に相談した。「大学卒業後に就職浪人して、アルバイトをしながらパソコンの資格スクールに通って勉強したい」と。当然ながら大反対され、こっぴどく叱られた。けれども諦めきれず、条件付きでアルバイトをしながらコンピュータ(グラフィックデザイン)の専門学校に通うことを、最後に何とか認めてもらった。条件というのは、地元に戻り実家から通える学校に行くこと、中途半端な資格スクールではなく専門学校で学び直すこと、アルバイトと家事手伝いをすること、取れる資格はしっかり取って確実に就職すること、だった。
そんなこんなで就職浪人生活が始まる。地方の専門学校ということもあり、学べる内容には物足りなさも感じたけれど、それでもアルバイトをしながら、教えてもらえることは精一杯吸収した。けれど常に負い目を感じていたし、これはなかなかに苦しい日々だった。また、この学校で買わされたのが某メーカーのWindowsマシンだったことも苦痛だった。当時はWindows 98だったが、Macの操作に比べると融通が利かないし、すぐ調子が悪くなるしで、このパソコンを使った2年間で、私のWindows嫌いは決定的となった。就職後、すぐに再びMacへ乗り換えたのは言うまでもない(WindowsよりMacの方が使いやすいというのは、あくまでも私の主観的な感想なので念のため。また、この時期にWindowsをメインマシンとして使ったことで、Windowsにもある程度詳しくなったので、その点では良い経験だったと思っている)。
この専門学校時代、パソコン関係、デザイン関係の資格を多数取得した。いろいろあったがあまり覚えていないし、それが実務に凄く役立ったということもない。正直言って、学校で教えてもらったことなど、今から考えると大した内容ではなかった。実生活の中や卒業後に実務経験から学んだことの方が圧倒的に多かったからだ。でももちろん専門学校に通って良かったこともあって、デザインの基礎やグラフィックソフトの基本を学ぶことができたこと、就職活動のやり方というのを丁寧に指導してもらえたことは、本当に有り難かったと思っている。また同時に、この期間アルバイトで接客などの経験ができたことも、就職する上では非常に役に立った。
そんなこんなで、現在は曲がりなりにも、某印刷会社でクリエイティブな仕事に携わることができている。この仕事に就いてもう10年以上になるが、ある考古学者の分厚い書籍を編集したこともあるし、様々な有名企業の販促物等に関わらせてもらうこともできた。それらは難しい仕事だったけれど、本当に良い経験だった。
こういう仕事をしていて嬉しいのは、やはり街中で自分達が関わった印刷物を目にした時や、お客様に感謝の言葉をもらった時だ。苦労して考えて、デザイン、編集したものが印刷物として仕上がってきた時も、やはり達成感とやり甲斐を感じる。時には残業が続く時もあるし、精神的に辛い仕事もある。けれども続けられているのは、やはりこの仕事が好きだからだと思う。
そんな私が働く印刷業界だが、現在は業界不況が続き、斜陽産業とすら呼ばれて久しい。理由はパソコンの一般家庭への普及によるメディアのデジタル化と、企業の効率化による印刷物の削減と印刷の内製化、中国を始めとするアジア市場での低コストな印刷通販業界の拡大、平成の市町村合併に伴う地方自治体の広報誌削減、価格競争による中小印刷会社のつぶし合い、等々である。一部の大手印刷会社は元気だが、多くの中小印刷会社は危機的な状況にあると言って良い。アベノミクスで好景気と言われる中でも、多くの中小印刷会社が右肩下がりの状況に甘んじている。
そんな中、少しでも体力のある印刷会社は、新分野への進出や業態改革に必死になって取り組んでいる。ウェブサイトやデジタルサイネージ、電子カタログの制作、印刷技術を応用したオリジナル商品の開発、独自の印刷通販ビジネス、云々……。
けれど状況は依然厳しい。また最近では、デザインという仕事の価値を認めてくれる人も少なくなっている。いくらデジタルカメラが高性能になろうと、写真の撮り方ひとつで、商品の魅力は大きく変わる。デザインやレイアウトの基礎知識や経験があるかないかで、カタログの読みやすさは雲泥の差となる。だけど、そういう目に見えにくく計算しにくい価値は理解されにくい。よく分からないから、安くて早い方が良いじゃないかということになりがちである。でも、そんな考え方は、企業のブランド力を低下させると思う。今や世界一の企業となったAppleが最も重視しているものは何か。デザインである。
ただ、これは印刷会社にも問題がある。多くの印刷会社は、これまでデザイン料というものをあまり重視してこなかった。印刷の版代や印刷代、用紙代の方が説明しやすいからだ。データ制作費という名目、要するにデザイナーの経験や技術で金を取ることは重要視してこなかった印刷会社が多い。それで顧客から求められるまま、印刷物と一緒にデータを要求されれば、タダ同然で渡したりしている。しかし今や、データさえあれば地方都市であっても、費用の掛かる印刷はいくらでも印刷通販や中国企業にネット注文できる時代である。印刷データをまるまる無料で渡してしまうというのは、これまでの最大の儲け代だった印刷・加工工程の仕事を奪われるということに他ならない。
とはいえ、日本の中小印刷会社に対抗する術がない訳でもない。地元密着のきめ細かいサービスとか、柔軟な制作対応とか、高度な印刷・加工技術とか、(実現できていればだが)差別化要素はいくらでもある。デザイン・製版技術が優れていれば、今よりもデータ制作費用を取れる可能性だってある。もちろん、そうした技術力や交渉力のない会社、好景気の時に導入した印刷・加工設備の減価償却に苦しむ体力のない会社は、これからも倒産し続けるだろうと思う。私の今いる会社だって、将来どうなるか分かったものではない。
けれど、まあ今のところはこの仕事を辞めようとは思っていない。自分の会社は当分は大丈夫だと思っているし、社内のいろいろな取り組みの中には、効果を出しているものもある。それほど悲観はしていない。但し、会社がいよいよダメになるなと思ったら、多分、ためらうことなく去ると思う。最初に入った印刷会社はそうだった。ダメな会社、信頼のできない経営者と心中する気はない。或いは、他にもっとやりたい仕事を見つけて辞める可能性だってあるかもしれない。人生の可能性は無限である。
思いつくまま、つらつらと自分とMacとの出会いと、それがきっかけで得た現在の仕事と印刷業界のことを書いてみた。今では職場でも家庭でもMacを使い、iPhoneやiPadを使っている。そういうAppleにいろんなものを貢いでいる自分に疑問を抱くことがない訳でもない。スティーブ・ジョブズがいなくなり、世界一となったAppleが、最近ちょっと堅実で面白みのない会社になり始めているのではないかという疑念も持っている。最近は、案外Microsoftの方がチャレンジングな会社なのかもしれない。
今回振り返ったのは、僅か20年くらいの出来事だ。けれど、ことパソコンを始めとする情報端末やインターネットに関しては、目まぐるしく進化を続け、世界の有り様を大きく変えてしまった。今後の20年では、何がどう変わるのだろう。20年後、果たして私は何を考え、どんなことをして、日々を過ごしているのだろう。
これからも仕事とプライベート両方で、コンテンツ産業とIT技術の移り変わりを楽しみながら見つめ続けていきたい。あっと驚くような、私たちをワクワクさせてくれるような、そんなコンテンツやテクノロジーが今後も登場してくれることを期待していたいと思う。
(2015年7月12日執筆・初掲載)